何か事があると、国に規制と保護を求める体質は、日本人には、お気に入りの対応策のようだが、へそ曲がりのせいか、私には、なんだか嫌な感じがしてしまう。クルマの魅力におぼれて借金漬けになる。クラブ通いで首が回らなくなる。競馬、競輪、競艇等々のギャンブルで生活が破綻する。賭けマージャンで生活苦になる。それらをすべて、国が消費者保護の名目で廃止をしてしまったら、清く正しい生活になるのだろうか。そんな社会は、なんだか脆弱(ぜいじゃく)で面白くもない。「自己責任」を否定して、あらゆることが、国の保護という名のもとに、規制される社会というのも、およそ私にはなじめないものである。荒唐無稽な話になってしまうけれど、賭博におぼれこんだドストエフスキーを保護するために、カジノを封鎖するなんてことはなくて、賭博に落ち込んだドストエフスキーを救う道はなかったからこそ、心臓の底をえぐるような作家、ドストエフスキーなのである。

 本来、つぶれてしかるべき企業の救済を続けることで、不良債権が溢(あふ)れてしまったり、技術革新に対応をしないかぎり、世界に後れを取るとわかっていながら、雇用の確保といった看板を掲げることで、旧態依然とした形のまま残れるような保護的な政策をとることによって、世界的には過去の遺物のような形態のまま温存してしまう産業や企業の例がよくある。産業にしても、地域にしても、スクラップ・アンド・ビルドという痛みを伴う政策の実行を徹底して嫌うのが日本のようだ。

工場にいる時間が多かった若いころ、小さな町工場のような金型屋のおやじさんの許を訪ねては、話を聞く機会が多かった。

 「東大だか阪大だか、優秀なのだろうけどさ、頭でっかちのあいつらの持ってくる図面通りにつくろうったって、つくりようがない。理屈だけで図面を書いたって、つくりようがなくて、すべてオシャカになるしかない。実際は、おれ達のノウハウっていうか、長年やってきた頭でやるしかない。で、持ってきた設計図面を前に、その誤りを指摘しては、どうしたいのかって、聞くわけよ」

 おやじさんたちの長年鍛え上げられた技能というか、熟練の腕、アイデアを聞くたびに、お説教をされているようなものだけど、感動したものである。電卓のキーの部分を一発成型する過程を聞いたのもそのころのことだ。夜になって、優秀な学士さんの設計図の欠陥と、実際につくりあげた金型屋のおやじの工夫を、コップ酒に付き合いながら聞くと、次から次にわきでるアイデアに「すごいものだ」と、驚嘆したものだ。それは、なんだかモノづくりのカラクリ師のようでもあった。何十年も前の話である。
……
インターネットはコンピュータ・ソフトウエアそのものである。世界を根本から変え続けているエンジンは、いまさら言うまでもなく、コンピュータ・ソフトウエアなのだが、この技術、よく言えば「純粋の知」に近いのだが、モノとのかかわりがないだけに、それは人間に感動をもたらすという面でも、違ったものなのかもしれない。今や、新幹線の運行から、様々な製造過程、金融、産業や社会の仕組みに至るまで、それを支配しているのはソフトウエアであるにもかかわらず、そのことは、目に見えない裏方のままであるという点で、過去の技術の歴史とは一線を画したままである。

老いは、例外なく、人間の普遍的な苦しみであるという。老化の進行が、60歳から70歳になろうと、人間、いずれは老いて、病を得て、死ぬことに変わりはない。変わりはないのだが、今の日本では、なにごともオブラートで包むようになって、「老醜」という言葉も使いづらくなっている。もちろん、「老い」は、尊敬の対象でもあり、国立博物館を一巡りしただけで、老いた上人像をはじめとして、崇められている老人の姿が、さまざまな絵や像によって表現されている。「老い」は死ではなくて、人間が生まれて、生きて、死ぬ過程のひとつなのである。その「老い」をいかに過ごすことができるかは、本来、個人の問題であり、家族、地域のかかわり方のはずが、家族や地域とのかかわりが変わり、日本の伝統的なコンセンサスが失われて数十年を超す日本では、すべてが国とのかかわり方になってしまったことが、より深刻な事態を生んでしまい、その解を国の保障という形でしか求めようがない状況が今の日本で、ひたすら国の財政による保障となってしまっているのである。
(sharksayakaからリブログ)

Isaac’s Live Lip-Dub Proposal (by RobertaFosse)

(classicsからリブログ)
(bookpornからリブログ)
(abcbabcbaからリブログ)
(pedalfarからリブログ)

諸君 私はQuoteが好きだ
諸君 私はQuoteが好きだ
諸君 私はQuoteが大好きだ

引用が好きだ 転載が好きだ 複製が好きだ 改変が好きだ 単語が好きだ 熟語が好きだ 文章が好きだ 段落が好きだ 全文が好きだ

ブログを twitterを フィードを ニュースを コピペを 書評を コラムを Wikipediaを 小説を 論文を マンガを 便所の落書きを

このtumblrにポストされる ありとあらゆるQuoteが大好きだ

記事の要点を見つけ 右クリックでtomblooに送るのが好きだ
Quoteポストのお陰で元記事へのアクセスが増えたと言われた時など 心がおどる

gkojayが掘り起こしてくれる 昔のQuoteを見るのが好きだ
政権交代前に我が党が声を張り上げていた主張が 綺麗な弧を描いたブーメランになった時など 胸がすくような気持ちだった

時には全文を 丸ごと躊躇なくQuoteするのが好きだ
哀れな小心者が ちょこちょことQuoteしていたブログエントリーを 強者が全文転載している時など 感動すら覚える

ここぞとQuoteしたポストの後 notesが増えていく様などはもうたまらない
草木も眠る丑三つ時でさえ ポストを投じた刹那 続々とnotificationが伸びるのは最高だ

tumblrを始めて間もない者が めいぼうじんの伝説のポストに出会い嬉々としてlikeする傍らで
古株が無言で何度も何度もreblogしていく様には 絶頂すら覚える

リンクフリー原理主義者に 滅茶苦茶にされるのが好きだ
検索除けしていた文章が Quoteによりディープリンクを与えられる様は とてもとても悲しいものだ

新製品のニュースリリースを追いかけ回し 写真も併せてQuoteするのが好きだ
各ニュースサイトを見回り比較し いざQuoteせんとしてITmediaだったりするのは 屈辱の極みだ

諸君 私はQuoteを 嵐の様なQuoteを望んでいる
諸君 私をフォローするタンブリスタの諸君 君達は一体 何を望んでいる?
更なるQuoteを望むか? 情け容赦のない 糞の様なQuoteを望むか?
疾風怒濤の勢いで 3,000 notes に達せんとする 雷撃の様なQuoteを望むか?

Quote!! Quote!! Quote!!

よろしい ならばQuoteだ
だがこの写真だらけのtumblrで 長きに渡り堪え続けて来た我々には ただのQuoteではもはや物足りない!!

大Quoteを!! 一心不乱の大Quoteを!!

我らはわずかに少数 千人に満たぬマイノリティに過ぎない
だが諸君は 一騎当千のキュレーターだと 私は信仰している
ならば我らは諸君と私で 総兵力100万と1人のフィルターとなる
Quoteを忘却の彼方へと追いやり 写真に興じている連中を叩き起こそう
髪の毛をつかんで 引きずり下ろし 眼を開けさせ 思い出させよう
連中にQuoteの味を 思い出させてやる
連中に我々が 文章の素晴らしさを思い出させてやる
文と絵とのはざまには 奴らの哲学では思いもよらぬ事がある事を思い出させてやる
一千人のフィルターのQuoteで tumblrを埋め尽くしてやる


状況を開始せよ

征くぞ 諸君

(via vmconverter)

Quote!! Quote!! Quote!!

(via petapeta)

Oh!ばかうけ。

(via monny6)

(kiri2からリブログ)