未来は僕等の手の中 ~逆境無頼カイジ 破戒録編~

アニメ「逆境無頼カイジ 破戒録編」でチンチロリンの博打にイカサマがあることを見抜いたカイジは、班長を追いかけて殴りかかろうと思ったが誤魔化されることを悟り、どうやって復讐するべきかを練る。

そのために金が必要になるので、借金のある同じ境遇の同室の人に声を掛けて仲間を募り、まずは借金を返すべくみんなで(地下施設内での)贅沢を極力抑えた生活を始める。途中で班長たちの嫌がらせやら、贅沢な夕食の誘惑があったりするが、カイジがはねのけながら何とかして元の給与を取り戻す。

いま説明したところは、アニメのシーズン前半の、さらに前半部分で流れる。後半につづく前段階だ。

しかし、最近はこの部分が重要ではないかと思えてきた。

カイジは自分で解決をしてゆく。誰かが助けてくれるのを待つのではなく、自分でどうすればいいのかを考えて、支持してくれる賛同者を集めて共同して戦う準備をする。借金を返すことのほかに、イカサマをしていた班長を見返す新たな目標が火を点けた。

自分に課された制約を意識して、どのような行動・生活をするのか。

いくら質素・倹約の精神で生活をしようとも、途中でめげてしまうことはよくある。人間は意志が強くない。

動画サイトで無料で視聴できる第一話でこんなナレーションが流れる。

「結局のところ、世の中は、利用する者とされる者。その二種類しかいないのだ。問題はその当たり前に、いつ気づくかだ!」

「●●は二種類しかしないっ!」は啓蒙風の使い回し抜群のテンプレートだが、おおざっぱにみれば当たってもいるだろう。いつ気づくのかは、まさしく、たった今であり、その後の班長の「明日からじゃなくて、今日からがんばるんだよ」の台詞に繋がるのだ。

では、なんのためにがんばるのか?

意志の弱い人間ががんばるためには「目標」が必要なのだと思う。大文字・文学的に表現すれば「夢」だろう。

実はその一方で、目標達成や夢の実現という未来の結果は、あまりたいしたことではない。今の時点から行動するための指向の手段であっていっこうに構わない。夢と目標の中身は変えてもまったく構わないのだ。

一番ダメなのは自暴自棄になって、だらだらと過ごしてしまうことだろう。


  


※参照サイト


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家めしがまずい

あえて言おう。これはミッションである、と。

食べ物が不味くても、食わなければならない。生き延びるために。

そもそも、うまいとか、美味しいという感覚そのものが贅沢なのだ。

縄文人を見よ。彼らはうまいとかまずいとかおいしいとかほんのりとしたやわらかいにくじるのなかにひきたつかおりがとかぴりりときいたさんしょうとかぶるごーにゅちほうのわいんがあとか言っている場合ではなかったのだ。とにかく目の前にあるもので、食べられるものを口にほおばり食べることで、その日一日の命をつなぎとめるので精一杯であったのだ。えぐくても、不味くても、死ななければそれだけで丸もうけだったのだ。

かつての戦時下のごとく「贅沢は敵だ」と主張したいわけではない。

かつての戦時下を描いた漫画のスローガンのいたずら書きにでてきたように、現代において「贅沢はステキ」になったのだ。

贅沢をして後ろ指を指されることはなくなった。ソーシャルメディアの発展で絡みやツッコミ、嫉みをときおり言われることがあるにせよ。わざわざ私生活を統制されることはなくなったのだ。

しかしながら、一億層中流時代はすでに終わり、贅沢ができる人間と、できない人間が生まれ、これから両者にはもっと大きな溝ができ、主に下層民から考え方や行動が先鋭化するだろう。絶望からの恨み憎しみ嫉妬などなど。

身ぐるみ外されても、なおかつ生きながらえるためにするべき行為は食べることだ。

まるでゾンビのように。

ゾンビ作品が魅力的なのは、人間の本性を露骨に現しているからだろう。ただの腐った肉体に成り下がった存在が、他者を襲い、理性の基になっている脳を食べようと這い寄るのは、底辺となった人間の理性なき知であり、肉体からの復讐であり、言葉にならない訴えであり、存在そのものなのだ。

妄想はここまでにしておこう。

人間はあくまで理性的な存在なのだ。格差を恨んでいても何も始まらない。嫉みの言葉を発していても、自らを傷つけるだけだ。

少しずつでも適応し、学び、慣れてゆくしかないのだろう。

  


※参照サイト
東京喰種トーキョーグール [最新話無料] - ニコニコチャンネル:アニメ 



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浅田真央が戦ってきたもの


1.はじめに

 私がフィギュアスケートを見るようになったのは、リレハンメル五輪のシーズンのグランプリシリーズ、NHK杯からですから、もう17年になろうとしています。その、フィギュア観戦生活の中で、私は今、これまでに味わったことのないような、暗澹たる思いで胸がいっぱいです。バンクーバー五輪の女子シングルの競技を終えて、一夜明けた今、寝るに眠れず、このレポートを書いています。
 果たしてそれにどんな意味があるのか。私にもわかりません。ただ、いちフィギュアスケートファンとして、この現状を諦め、口をつぐむには、あまりにも今回の出来事は悲惨すぎる。少しでも多くの人に、現状を知ってほしい。そう思って、このレポートを書くことにしました。
 もちろん、主観だらけの内容になってしまうと思います。けれども、理解していただきたいのは、そこにあるのは、フィギュアスケートに対する愛です。誰がなんと言おうと、私はこのフィギュアスケートという競技を愛しているのだと思います。どんなにつらい思いをしても、納得できなくても。

 フィギュアファンとして、浅田真央のファンとして、今回の結果がどうにも納得できないと言ったら、ほとんどの人はこう思うでしょう。「ミスをしてしまったのだからしょうがない」「キムヨナは完璧だったのだから」。
 敗者は口をつぐむのが、日本では美徳とされています。私はそれを否定するつもりは全くありません。けれどもそれは、フェアに競技が行われた上での結果というのが大前提ではないでしょうか。中には、フェアではなかったとしても、それすらも納得して口をつぐんでしまう人も、日本人には少なくないと思いますが・・・。

 はじめに断っておきますが、私は決してキムヨナが嫌いなわけではありません。むしろ、4年前世界フィギュアで彼女の存在を認識した時は、浅田真央という天才にライバルができ、切磋琢磨できる状況になったということを歓迎しました。彼女たちが、これからどのように戦っていくのか、胸を躍らせたほどです。
 間違えてほしくないのは、このレポートが「キムヨナ批判」ではないということです。時には、キムヨナ本人を批判するような書き方になってしまうかもしれませんが、私にはそのような意図は全くありません。むしろ、キムヨナもある意味では被害者であるといえると思います。世界最高点をたたき出し、金メダリストとなったキムヨナは、素晴らしい選手だ、天才だ、と思われていることでしょう。ですが、実はフィギュアファンの目から見れば、主観を抜きにしたとしても、稀有な才能の持ち主というには、キムヨナはあまりにも凡庸すぎる。ジャンプにしろ、ステップにしろ、スピンにしろ、スパイラルにしろ、すべての要素において、浅田真央に迫るものですらないのです。ではなぜ、その彼女が「世界最高点」を出すに至ったのか。たゆまない努力のたまものだから、讃えるべきだという人もいるでしょう。しかし実は、その裏には様々な理由があるのです。
 あの大舞台にノーミスで滑れたこと。それくらいは讃えてもいいと思われるかもしれません。しかし、です。

 前置きが長くなってしまいましたが、私なりに、今回の出来事を分析してみようと思います。潔くないといわれてもかまいません。この腐ったフィギュアスケート界をなんとかしたいと思っている人間は、たくさんいるのです。それを、少しでも多くの人に知ってもらいたいと思います。





2.トリノ五輪後に4年がかりで浅田真央がされてきたこと

  • キムヨナがフリーで3回も使うダブルアクセルの基礎点が突如3.3→3.5点にUP。加点をつける基準が難しい3回転と同じなので、簡単なダブルアクセルの前後には工夫ができあっさり毎度トリプルループ以上の点に

  • トリプルルッツとトリプルフリップの踏みわけが厳格化され、真央が1試合3回使う得点源であり3回転で一番基礎点の高い技トリプルルッツが不正扱いで使う度平均2,3点も減点。修正しない限り組み込めなくなる

  • 真央の甘かったシットスピンの認定基準も厳格化。
 しかし真央即座に対応し深いシットスピンに

  • 実はキムヨナも3回転で2番目に基礎点の高いトリプルフリップの不正があった。
 ところが何故かキムヨナの不正トリプルフリップだけは見逃され続け驚異の加点
 それでも真央が2008年ワールドで優勝してしまう

  • その直後、来シーズンから今度は回転不足の厳格化を発表
 更にトリプルルッツを跳べないでる浅田に、浅田の得意な3回転半を除いた
 3回転5種類を跳んだ場合のボーナスを出す情報が流れる

  • 予想通り真央のトリプルアクセルとトリプルループ、安藤のトリプルループ、特に二人ともセカンドトリプルループが怖いぐらい全く認められなくなる

  • ところがキムヨナの得意なセカンドトリプルトゥループだけは決して回転不足にならず初戦のアメリカ戦でトリプルフリップがまた見逃される。しかしVTRではっきりトリプルフリップの不正が映ってしまい、2戦目からエラーではない「!」の注意がつくも、彼女だけマイナスにならず小さいながら加点がつき続ける。

  • 真央がトリプルサルコウを克服しルッツもなんとか矯正してくる。対照的にキムヨナはトリプルループが跳べなくなる
 真央が文句のつけようのない演技をしてグランプリファイナル優勝
 するといつの間にか5種類ボーナスの話しが立ち消えに

  • 五輪シーズン、8月に韓国でルール改正決定。真央の最大の得意技トリプルフリップも、蹴る足がつま先ではなくブレード全部で蹴ってるからと減点に。
 ジャパンオープンで矯正しても不正扱いされ浅田の最後の砦トリプルフリップも減点、しかもいじっていびつになり質が悪化、ついでにトリプルトゥループも減点ジャッジが登場

  • 2010年度初戦で真央に回転不足4連発判定。内3つは明らかに足りてるループ
 5輪シーズン、彼女のループを2回転含め全て潰す意図が明確に
 キムヨナはトリプルフリップの不正は再び注意もつかなくなり、フリーではトリプルフリップを跳ばずに世界最高得点更新


 いかがでしょうか。
 浅田真央は、4年もの長きにわたって、これだけの仕打ちに耐え、乗り越えてきたのです。これだけの、浅田真央に不利でキムヨナに有利なルール改正。浅田真央が、何十年に一度の稀有な才能の持ち主でなければ、ここまで露骨なルール改正はなされなかったかもしれません。これでもか、これでもかと浅田真央をつぶしにかかり、それでもつぶれなかった浅田真央は、本当に頑張ったし、偉いと思います。





3.浅田真央の代わりにプルシェンコが滑ったら・・・
http://nereidedesign.jugem.jp/?eid=205 より一部転載)

日本の皆さんは、「浅田真央がノーミスなら当然金メダルだったはず・・・」と思っているでしょう。

違います。
浅田真央の代わりにプルシェンコが滑って、4回転ジャンプをかましても、キム・ヨナに勝つのは無理なんです。

だから浅田真央は滑る前の、気持ちの持って行き方に迷いが出たのです。
絶対勝てない、って分かってたから。

キム・ヨナのフリー競技のスコアをご覧ください。


男子と同じPCS(*女子は×1.6、男子は×2.0)で計算すると、 キム・ヨナはジャンプが1回少ないにもかかわらず、ライサチェックの得点を超えます。

女子金メダル キム・ヨナ(12要素ジャンプ7回)
FS 168.00点 [TES 78.30(加点 17.40 ) PCS *89.70]

男子金メダル ライサチェック(13要素ジャンプ8回)
FS 167.37点 [TES 84.57(加点9.64) PCS 82.80]

男子銀メダル プルシェンコ(13要素ジャンプ8回)
FS 165.51点 [TES 82.71(加点7.68) PCS 82.80]

女子の身体能力(体力)は、身体組成からみて男子よりも劣るという研究結果があります。(身体組成からみた男女の体力差

しかし、女子であるキム・ヨナは男子のライサチェックやプルシェンコを超えた。

ちなみに、PCS(Program Components Score)はプログラム全体の演技を5つの観点から評価します。5つの観点は以下の通りです。

スケート技術 (Skating Skills)
要素のつなぎ (Transitions)
実行力/遂行力 (Performance/Execution)
振り付け (Choreography)
曲の解釈 (Interpretation)

女子であるキム・ヨナが男子のプルシェンコやライサチェックよりもダイナミックでパワフルなパフォーマンスをしていましたか?

私はそうは思えません。

では、どうしてそんな差がついたのか?

一言でいうと、 審判のおまけポイント 。
審判の気分次第で10点20点の差ができる仕様になっております。

          GOE女子                     GOE男子          
1位 キム・ヨナ: 17.40 9.64 : ライサチェック
2位 浅田真央 : 8.82 7.68 : プルシェンコ
3位 ロシェット : 4.42 3.20 : 高橋大輔
4位 長洲未来 : 8.50 2.58 : ランビエール
5位 安藤美姫 : 5.30 3.80 : P・チャン


そして当日、韓国人審判とカナダ人審判が入っておりました。

だから

「オリンピックの試合だが、全く緊張しなかった」

などと余裕をぶちかませたのです。


色々な感情がありますが、まずは浅田真央という選手を賞賛するべきでしょう。

スキージャンプよりも酷いルール変更の連続に苦しめられて、それをたった1、2年で修正してきて、「用意された王者」を脅かす所までいったのです。





4.画像比較 バンクーバー五輪SPにおける浅田真央とキムヨナそれぞれの演技




こうやって並べて比較すると、いかにキムヨナが浅田真央に比べて体が硬く、難易度の低いポジションでしか滑れないかがわかります。
 ところが、ここでの二人のポイントは、驚くべきことに、全く同じなのです。また、キムヨナはスパイラルの途中で一瞬よろけてしまいますが、そんなこともおかまいなしに加点がついています。





5.さいごに

 この四年というもの、フィギュアスケートファンが、どれほどの憤りを抱えてきたか、おそらくフィギュアを五輪でしか見ない人には想像もつかないでしょう。けれど、ここまでのまとめで少しだけでもわかっていただけたでしょうか。 それでも・・・と思われるでしょうか。
 私たちが忘れてはならないのは、浅田真央は間違いなく、世界的に見ても何十年に一度の稀有な才能の持ち主であり、キムヨナは凡庸な選手でしかないということです。
 凡庸な選手を、何年もかけてさもものすごい選手であるかのように仕立て上げた。五輪という大きな舞台で、世間に文句を言わせないために。
 キムヨナの演技というのは、フィギュアをよく知らない人から見れば、パーフェクトで素晴らしいものに見えるかもしれない(点数という後押しもあり)。しかし、フィギュアを少しでも詳しく知る人間から見れば、キムヨナの行っている演技は、五輪10位の選手ともたいして変わらない、平凡なものです。ただ難易度の低いプログラムを、自信たっぷりに滑っているから、素人目には素晴らしく見えるだけなのです。ジャンプ以外の要素・・・ステップ、スピン、スパイラル。すべての要素について、それは言えることです。
 では、自信たっぷりに滑れる彼女の精神力を讃えるべきだといわれるかもしれません。ですが、上記にあげたように、キムヨナは様々なものから守られている。採点基準・審判・マスコミ・・・。
 バンクーバー五輪フリーにおけるキムヨナの得点はどのようなものか、簡単に言ってしまえば、あのプログラムから、3-3のコンビネーション+3回転を一回、すっぽぬけたとしても優勝してしまえる。そのような異常な高得点なのです。ですが、コアなファンでなければ、そんなことはわかるはずもありません。1回や2回転んでも優勝できると分かっている選手と、世界最高の技をパーフェクトに滑っても優勝できないかもしれない選手が、同じプレッシャーであるわけがありません。
 そのような、プレッシャーのない状況ですから、キムヨナがノーミスで滑れるのは、別に驚くべきことではないのです。

 フィギュアスケートは、芸術的要素を多分に含んではいますが、スポーツです。それなのに、難易度の低いプログラムをプレッシャーのない状況で滑った選手が勝ち、異常なプレッシャーの中で、それでも大技に果敢に挑戦した選手が負ける・・・。そんなことがあって許されていいのでしょうか?
 高得点が出るのはキムヨナのほうが、表現力に優れているからでは?と思われる方は、上にある画像をもう一度見ていただきたい。明らかに、浅田真央のほうが技術だけでなく表現力にも優れていることがよくわかるでしょう。

 平凡平凡と何度も書きましたが、それは浅田真央と比べたらの話であって、キムヨナに才能がないわけではありません。トップレベルであることは間違いない。ただ、浅田真央が天才すぎただけです。浅田真央が天才すぎなければ、ここまで念入りに、キムヨナを「世界最高」に仕立て上げる必要もなかったかもしれない・・・とも思います。ある意味、キムヨナも被害者かもしれないというのは、そういうところにあります。

 「仕立て上げられた世界王者」この言葉を、私はこれからもずっと忘れないでしょう。そして、浅田真央がこの四年間で何をされてきたか、そしてそれをいかにして乗り越えてきたか。それを、私はできるだけ多くの人に伝えていきたいと思っています。冒頭にも書きましたが、私はフィギュアスケートを愛しているからです。

 浅田真央は、間違いなく、もっともっと、世界的に評価されなければいけないスケーターです。私は、浅田真央とキムヨナが甲乙つけがたいと評価されるだけでも我慢がならないのです。
 どうか、この思いが、少しでも多くの人に伝わりますように。
 そして、フィギュアスケートの現状が少しでもいいから変わりますように。





6.検証動画関連

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【比較検証】キム・ヨナ不可解判定:Vancouver SP

【比較検証】キム・ヨナ不可解判定:Vancouver FS

【八百長ジャンプ】キム・ヨナ 2009 GPF SP、SA、TEB、2009world





7.関連リンク


【日本の底力】
マオの3A+2Tで全員が0か1と低得点ながら減点する審判がいなかったのに9人中一気に「-2」をつけた人物が一人だけいた。正確には審判は11人おり無作為の9人の点数が採点に採用されることになるので、残り二人の可能性も留意するべきだ!!だが確実に「-2」(コケないとつかない点)を入れた人物が判明しその人物の国籍が昨夜発覚した。そう、何を隠そう連日エントリーで取り上げてきた李ジヒ大韓スケート副会長。である。
【Newsweek】
ソルトレークシティー五輪での不正問題を教訓に新採点システムを採用したフィギュアスケートだが、審査員の母国びいきと裏取引はむしろ悪化している
【Associated Content】
Kim Yu-Na is not “queen” to me. Technically, Mao Asada is by far the better figure skater, even though Kim Yu-Na won the gold medal at the 2010 Winter Olympics, and even though “Queen” Yu-Na broke the point records for short, long and combined figure skating programs.
【sanspo】
真央の体脂肪率は7%前後。18歳以上の女性が10%を切ると将来の妊娠にも影響が出るが、それを承知の上で真央は3回転半を突き詰める道を選び、昨年から2キロ近く体を絞った。 競技前の“勝負食”という焼き肉も、実は1食に食べる量は多くて3切れ。五輪代表権がかかった昨年12月の全日本選手権の2週間前。3回転半に行き詰まった真央が初めて「もうできない」と号泣し、姉の舞(21)らが台湾料理店に連れ出した。「好きな物を食べていいよ」。舞の言葉に真央が選んだのはそんなときでもおかゆとスープ、野菜いためだけ。無邪気な笑顔の陰に、とてつもない努力と、犠牲にしてきた19歳の普通の幸せがある。
【IBTimes】
Lloyd’s of London, the world’s leading specialist insurer is paying out to South Korean star, Yuna Kim after her Gold medal at the Winter Olympics. Yuna, 19, insured her 228.56 score against a Lloyd’s syndicate who will pay out to her $1 million for achieving it.

【Yahoo! ニュース】
キム・ヨナ選手は通常の報奨金に加え、イギリスの保険会社Lloydsから報奨金100万ドルを追加支給されることが明らかになった。キム・ヨナ選手がオリンピックで自身の世界記録である207点を更新して優勝した場合、保険金100万ドルを受け取れるよう、韓国の金融機関がイギリスのLloyds社と保険契約を交わしたそうだ。もちろん、年金ポイント114点で100万ウォン(約7.7万円)の年金を生涯受け取ることもできる。
【CBC】
Rochette dealt with group and individual interviews by Canadian media, fought off repeated attempts by two Japanese film crews who were trying to get her to say something negative about then-struggling Mao Asada (she would have none of it), and then settled into one-on-ones with various TV outlets.
【中央日報】
2010年バンクーバー冬季オリンピック(五輪)金メダルの製造費用は約58万ウォン(約4万6000円)。しかしキム・ヨナ(20、高麗大)の女子フィギュア個人金メダル獲得がもたらした経済効果はなんと5兆2350億ウォン(約4100億円)にのぼる。
【浅田真央ファン夢日記】
ここ最近、当ブログのコメント欄で、フィギュアの現在の状況について、そこに非があるならば、ファンとして声をあげようという投稿が続いています。そこで、アンコウとしては、過去に日本スケート連盟に投書を出した経験から次のような提案をしたいと思います。『ルール改正をISUに促すために、日本スケート連盟へ投書をしよう』





8.あとがき

最後までご覧頂き誠に有難う御座いました。
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このページがサイトの「すべて」です。
(momo0110からリブログ)

カゼ情報にひっかかり、Twitterで拡散させてしまった




「郵便局の転居届がNHKの加入用紙とセットになっているという情報」に見事にひっかかり、Twitterで拡散させてしまった。

自分のインターネットの回線は数年来ADSLを使っている。値段が安くて速度も申し分ないのでコストパフォーマンスがいい。NTTの光回線の営業電話がかかってきても断っているのだが、断っても断ってもしつこく勧誘してくるのだ。いつだったか作業着を着た男がアパートの玄関前にいてインターネットのアンケート調査をしていたこともあった。「契約してくれるまでまた来ますよ」と口にしないまでも、腰の低いやくざな雰囲気に辟易していた。

また、地デジに変更になってからテレビを持っていないのに、NHKの口座振込用紙がポストに投函されていたり、契約の方が自宅まで来たり、と集金の合理的な仕組みを作らずに、人海戦術のようなやり方に違和感と苛立ちがあった。

自分がデマに引っかかった要因は、いままでのNHKの集金や光回線の営業に対する感情だったのだろう。

転居届がNHKの加入用紙とセットになっていてもおかしくないだろう、と一瞬にして判断が下ってしまった。

無自覚な仮説形成を自分で信じてしまったのだ。

そもそも「仮説」とすら思わなかった。事実か、事実ではないか、は関係なく信じたいから信じてTwitterの拡散ボタンを押した。だから検証しようとする考えが浮かばなかったのだ。

フォロアー数が少ないので、批判もされなかったし、指摘もされませんでしたが。(多い、少ないは本質的なところで関係がないので、ガセだと知ったときにその訂正情報も拡散させた。)

「間違えを認めると、関係のない外野から、一斉に攻撃されるのでネットでは謝りづらい」と指摘している人がいた。それはそれで、ひとつの戦略ではあると思う。

たが、「間違ったことについて非を認めた」ことを他人が嘲笑い、非難する空気があると、間違えを認め(られ)ずにそのまま突っ走ったり、非を認め(られ)ずに巧妙に軌道修正するという、やたらと時間のかかる弊害が生まれると思う。

といっても、他人の揚げ足を取ることが好きな人、みんながやっているからわたしも揚げ足とりに参加しよう、と考える人はたくさんいるので、スルーかブロックするのが現実的な対応なのだろう。

明らかに自分が間違っていた場合には、とりあえず非を認めて、外野からの攻撃をかわしたほうが、自分の時間と人脈を奪われないのではないかと思う。

あとは、情報に対してすぐ反応せずに、自分の中で一度消化(昇華)して、間を置いてから発信するように心がけたい。





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みなさん、映画のパンフレットって買う?

映画「ダイハード2」を劇場へ観に行って、その際に買ったパンフレットの後ろのほうに面白い記事が載っていた。たしか「『ダイハード2』を10倍面白く観る方法」というタイトルだったと思う。書いた人の名前も忘れてしまったが、軍事に詳しいライターだろう。その記事は映画を見終えた観客が、二度目に見るときに注目するべき雑学的な知識の紹介だった。

主人公の刑事が空港の喫茶店で待っているときに、三人の男を怪んだのはなぜか? 警官が通ったときに一人の男がラッピングした荷物を引く動作に、ほとんどの観客は主人公が疑ったと思ってしまう。自分もそうだった。しかし、「10倍面白く観る方法」では、三人の男たちが「編み上げのブーツ」を履いていることから軍人であることを見抜いたのだ、と紹介していた。しっかりと足元を固めるのが軍人の基本であると。

そのほかにも別館での戦闘シーンについて、警察隊はM4のような銃身の長いアサルトライフルを装備していたが、屋内戦ではテロリスト側の持っているMP5kのようなサブマシンガンが機敏に動けて有利である、と。しかも警察隊は動く歩道を歩いてきたので、身動きの取りづらい通路にわざわざ自分で填まり込んできたので「アースホー」と言われても仕方がない、とまで書いてあった。

他にも当時は珍しかったプラスチック製の拳銃、グロック17の解説があった。

この記事がミリオタの世界に足を踏み入れるきっかけとなった。

映画「リーサルウエポン3」を観に行ったときにも、パンフレットの記事に防弾チョッキを貫通させる銃弾の解説があって、身体も貫通させてしまうので殺傷させるために弾を多く撃ち込む必要があると知った。(今、ネットで検索してみたら実際には9ミリで貫通力のある弾はない、と解説があった。)

ミリタリーに関しては日本人からすれば非日常の世界なので、関連した重火器の事柄はそれなりに情報があったのだと思う。

「スターウォーズ エピソード3」が上映され、パンフレットを買い、始まる前に眺めていたら、出演者紹介の欄でパルパティーン議長が黒幕であることを知ってしまった。本編を見る前に最大級のネタバレを知って愕然とした。

そのあとも劇場に足を運んだときにはパンフレットを買ってはいたものの、出演者のインタビュー記事や関わったスタッフや映画評論に関しても、詳しい情報が少なくてどうしても出来合の印象が強くなってしまった。タレントやなんだかよくわからない職業の人が作品をほめまくる文字列をながめていると冷めてくるのだ。

とある作品で売り切れがあったのをきっかけに買わなくなった。

いまではネットを検索するともっと多くの情報が得られる。

実は映画パンフレットは日本独自のものだそうだ。海外でも当然あると思っていたので驚いた。こんなところにも日本人の文字・物に対するフェチズムを感じる。



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アニメ作品を観るきっかけ

アニメが数多くあって、いったいどれを見ればいいのか。時間がないのでもちろん全部観ることはできない。

テレビは持っていないのでアニメのチェックは自然とニコニコ動画のアニメチャンネルなのだが、





タイトルと絵の雰囲気からクリックして、無料視聴できる一話を試しに見て判断するということがほとんどだ。

一番効率がいいのは、話題になった作品を後から観る、という方法だろう。その場合、DVDを買ったり、動画サイトの視聴権を購入したりする必要がある。作品を支持するべく金銭的支援をしたいのはやまやまなのだが、お金を払えない私のような貧乏人には、きついのだ。。

ということで、無料で視聴できる期間での、動物的な判断力が必要になる(笑)

ちなみにニコニコ動画の場合、話題になっている作品は振り返り一挙放送などをするので下のページをまめにチェックするといいかもしれない。




声優さんをTwitterでフォローしていると、出演しているアニメの作品や放送時間をツイートするのはよく見かける。番組公式のアカウントを公式リツイートで回してくることもある。番組宣伝だ。

自分が個人的に思い出したのは、声優さんが地上波の番組を観ながら実況しているツイートをきっかけとして、見始める機会があったことだ。

「放送は●月■日 ▲時からです。 見てね☆ 」という、さらっとした番組宣伝の営業口調よりは

「ぬぐぐ。。」「きたきたああああ」「おしーり」「抜刀おおおおおお!!!」のような、傍から見ると支離滅裂で熱のこもったコメントが並んでいると、見てみようかな、という気になってくるw (※あくまで個人的な意見です)

最近はネットと同時にテレビ放送する作品もあるが、ほとんどの場合、全国放送の兼ね合いがあるらしく数週遅れで行われるので、声優さんの実況を眺めて知った後、ネット放送までのタイムラグがちょうどいいタイミングになって、作品を観るきっかけになったりした。

ただ、実況するのが宣伝・営業のための義務になってしまうと、発言の内容はつまらなくなると思う。本人の気分や気持ちが言葉になって現れてしまうだろう。あくまで作品が好きかどうかで、その熱気が表に出てくるような気がするのだ。忙しかったり疲れているときにわざわざ実況などしなくてもいい。あくまで本人の自由だろう。

個人的には声優さん目的”だけ”で見続ける忍耐力はない。やはり演出、世界観、脚本になる。好き嫌いからの自分の勘で判断していいのだ。

どんな法則があるのかはわからなけれど、他人を動かすきっかけは熱気なのかも、と最近思う。



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昨日見かけた親子

昨日見かけた話です。

朝から日差しが強く、暑さがうっとうしいと思いながら道を歩いていると、前のほうでアスファルトに俯せて泣き声を上げている園児がいた。道路に顔の半分を埋めるように全身伏せている。さっきまでベビーカーを押していた母親が振り返って男の子の様子に気づいた。手を貸す様子はなく、しゃがみこんで話しかけている様子だった。

しかし、男の子はアスファルトにへばりつけたまま声を上げつつ動こうとしない。

後で追い抜くときに分かったが一人用のベビーカーにはもうひとり子供が乗っていた。伏せている男の子よりも性別は分からないが年下だった。

男の子が地面に伏せているのは転んだのかもしれないし、暑いから歩きたくないとだだをこねているのかもしれない。

ここまではありきたりの光景なのだが、その後、母親の行動に目を見張った。

そばでしゃがんでいる母親は折りたたみの携帯電話を開いて、子供に向けて構え始めたのだ。おそらく写真を撮ろうとしているのだろう。

一瞬唖然とした。

追い抜きざまに私の存在に気づいたのか、少しほほえんでいた母親はこちらを一瞥したが、構えるのをやめようとする気配もなく、倒れた子供の姿を撮るチャンスを逃すまいと姿勢を変えようとしない。

田舎風のやんちゃなヤンママの感じではなくて、どこにでもいる身だしなみの整ったごく普通の母親だ。

自分は、唖然とした後に、注意でもしようかと思ったが、いやまて、一体自分は何を注意するべきなのだろうか? と疑問が浮かんで、結局そのまま追い越して通り過ぎてしまった。その後に、どんな写真を撮って、どのような言葉をかけたのかはまったく分からない。

今時の母親はこんな感じなのだろうか?

そもそも、なぜ自分が「唖然とした」のだろうか? を考えてみた。

写真を撮ることと同時に、その後にブログやSNSなどのネットに公開する予想が頭の中に浮かんだ。子供の行動をネタにしているように思えて、不快な気分がしたのだ。

正確には写真のシャッター音すら聞いていないが、ガラケーの構え方からすればあのあと撮ったのは間違いないだろう。自分の子供の写真を撮ることは自由だ。それをネットに載せて公開するつもりなのかは、あの状況では分からなかったし、通りすがりの人間がわざわざ話しかけて聞き出そうとするのも余計な詮索だ。

母親からすれば息子の伏せった姿が「おいしい絵」だったので、残したくなったのだろう。子供も本気で泣いているわけでもなかった。条件反射でガミガミと叱るよりも、ある種の冷静さが勝っていたのかもしれない。

ここまで書いてきて、一体何を書きたいのか、自分でもよく分かっていない状態なのだが、あの瞬間に条件反射で母親に何らかの”注意”をしなくて良かったと思っている。もともと他人に口出しできる性格でもないし、ただの放置のようにもみえるのだろうが。。

不快さや唖然としたのはあくまで自分が感じた事であって、それは他人には分からない。同様に楽しさも自分が感じるだけであって、基本的に他人と共有することはできない。

共有するには、自分の感情を”他人に伝える作業”が必要になる。そしてその前に自分の感情や考えを分析する能力がいる。

特になんの自慢話でもない。

最近ショートカットの思考で、すぐに白黒付けたがる人たちをいろいろなところで見かけるので、あらためて自分の考えや行動を吟味して行動につなげたいと思った。


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ネットは検証のない仮説だらけ ~「ロンリのちから」仮説形成~

ひさしぶりにNHKの『ロンリのちから』の番組ページにアクセスした。七話の「仮説形成」という言葉を始めて知った。なにやら推理モノのような展開が始まる。(動画は全部で八分ぐらいです。) 簡単に言えば「仮説」で、みんな普段から考えて口にしていることだ。

"仮説形成とは、「なぜ?どうして?」という謎に答えるために謎を説明する仮説を立てること"(番組より)

というか、ネットなどでは頻繁にみかける。「仮説形成」しかやっていないのではないかとさえ思える。


「●●の表紙絵は、女性差別だッ!」 (ワーワー)
「●●の逮捕は、見せしめのための警察の陰謀だッ!」 (ワーワー)
「●●の報道は、明らかにマスコミの印象操作だッ!」 (ワーワー)


そのほかにも原発とか、集団的自衛権とか、個人情報保護法などなど、同じ事が繰り返されている。

教師演じる緒川たまきが重要な台詞を口にする。


「仮の説を立てても謎のまま。だから仮説が正しいかどうか『検証』しなくてはいけない」


なるほど! あまりにも当たり前すぎて見逃していた。

仮説のままで、信じる者同士が奇妙な連帯をしては、時期が過ぎるとバラバラになって、それを何度も何度も繰り返しているのを目撃し続けていたのだ。

まずは仮説を検証しなければならず、事実に目を向けなければならない。

しかし、過剰な感情、バイアスがかかっていると、仮説を信奉してしまう。つまり仮説が真実である、と自分で信じたいが故に、検証したくなくなってしまうのだろう。仮説が、ただの仮説であることが証明されたくないから。

数字や科学的データなどで裏付けをすることで証明できる事柄もあれば、どのような手段であっても検証できない事柄もある。極端な例だが、「警察の陰謀」とか「政界の黒い霧」など一般人にはとうてい調べる術はないのだ。

極端な例でなくても、素朴に信じられている諺とか、名言とか、慣用表現とか、生活の知恵なども、わざわざ検証しないけど、昔から言われているから、まあ正しいんでょうな程度の認識だったりする。

検証しようがない事柄について、仮説が真実であるかのように利用する人もいる。検証されないから声高に主張しやすい。やり方は簡単で、大声で感情的に繰り返せばいいのだ。検証できないから、仮説が真実であるとして、見栄えのいい材料を集めて組み立て、仮説の土台を強化するだけで、なにやら真実のように見えてしまう。みんな真実だと思えてしまう。みんなが真実だと主張しているから、自分も真実だと思って大丈夫だろう、と無責任に信じてしまう。

このような恐ろしい状況を打開するには、失敗を認めて訂正しても激しく非難しないような社会を作ることだと思う。そして、子供にも大人が失敗している姿をみせて修正を学ぶような雰囲気がないと、仮説だらけ、感情だらけのゆがんだ社会になるのではないだろうか。


自分はTwitterを始めて五年たったが、いまだにフォロアー数が600人にもならないのだが、フォローせずにプロフィールページをブックマーク登録してアクセスしたり、鍵付きリストに登録してツイートをステルスで監視する”生霊フォロアー”はどんどん増殖しているような気がしてしかたがない。もちろんこれは検証不可能な仮説形成ですが(笑)

※参照サイト
 



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自然の窓口になるお天気アプリ

上京したときに始めてテレビ朝日の番組を見た。田舎にはテレ朝系列の放送局がなかったのだ。TBSの「ベストテン」は子供の頃によく見ていて、久米宏の報道番組は新鮮だった。その当時、あすの天気予報でCGを使うのが流行っていたようで、テレビ朝日の他にフジテレビの報道番組でもCGを使って日本列島を沖縄から北海道まで巡りながら各地の天気を、雨が降ったり雲がかかっていたり、グラフィカルに表現していた。

しかし、その手法はしばらくするとなくなった。おそらく天気のわかりづらさが指摘されたのだろう。

いまでは平面な日本列島に都市名があり、晴れ、雨、曇り、雪などの簡単な絵を載せている。おそらくこれから先、豪華なビジュアル演出はないだろう。

当たり前な話だが、天気予報は自然が相手であり、また雨ならどんな雨が降るのか、曇りならどれくらい曇るのか、晴れなら気温と湿度はどれくらいでどのように感じるのかなど、気象の具体的な内容は千差万別であり、さらに時間や詳細な場所などの要素を網羅して盛り込むとすると、ほぼ無限大の情報が提示される。

もちろんそれらすべての情報を提供するのは不可能だし、人間が把握できるはずがない。

天気予報はほぼ無限にある自然の情報を、基準に乗っ取って、枠を区切って、とりあえず示しているに過ぎない。

テレビ番組の天気予報が見づらかった話に戻れば、都市の空間と天気の表記がすでに曖昧で、CGデザインを軸に組み立てていたのだ。

スマートフォンにもさまざまな天気アプリがある。iPhone標準の天気アプリは背景の絵はおしゃれだが具体的な情報がすくない。オシャレデザインのアプリは細かい情報を削ぎ落として記号的に表している。アップルのUIに沿った意識だろう。

屋外で作業をする人間からすれば、削ぎ落とされた側の情報が欲しかったりする。どこで何時から雨が降るのか。どのような風が吹いて降水量はどれくらいなのか。朝晩の気温差はどれくらいあるのか。などなど。

オシャレなデザインは削り方に設計した人間の思想が現われている。いろいろなアプリを試してみたものの、やはり開発者は屋内で作業をしているためか、同じ屋内でiPhoneを持つユーザーに向けて提供している印象がある。いわゆるノマドワーカーも外にいた時に雨が降りだせば屋根と壁とコンセントのある喫茶店に移動できるのだ。そもそもiPhoneが防水設計されておらず、将来的にも実装しないようだ。

アプリは自分の目的に合ったものを選べばいい。晴れ、雨、曇りのグラフィックに凝っていたりいたり、時間ごとの細かい情報を示していたり、また逆に記号的な表示のみで色やデザインや動作に特徴を持たせていたりと様々だ。

個人的には tenki.jp に落ち着いた。巷では Yahoo!天気 の評判がいいようで、先日のアップデートで tenki.jp 側が意識したのか、似たような機能が増えてしまい、操作手順が増えたことが気に入らなかったが、とりあえず今の自分には一番しっくりくるアプリなのでしばらく使い続けると思う。




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コンテンツを発信し続ける人と消費し続ける人



あまりにもおおざっぱだけど、酔った勢いでもなく最近よく考えていた。

Twitterで自分のフォロアーをフォロー返ししてみると、大抵の場合自分よりも更新頻度が低い事に気づく。自分がフォローしている相手は更新頻度が高く、タイムラインにどんどん情報が流れてくる。

更新が少ない人が情報を消費し続ける、という表現が適切ではないだろう。しかし、発信し続ける人は自ら情報を集めて、消費しながらも、さらに発言のレベルを更新しているのだろう。

お手軽に、短期的に、情報発信の更新頻度を高めるためには、もしかすると自分の中で「好き嫌い」を決めてしまうことなのかもしれない。自分のスタンスが決まってしまうので、あとはその軸に沿って発信し続ければいいのだ。他人から非難されようとも、炎上あろうとも、ふぁぼ欄で自分の嗜好がバレようとも、過去の軽犯罪が指摘されても、すべての人から好かれなくても、空気を読まずに「好き嫌い」で突っ走ればアクティブユーザーの仲間入りになれる日も近い、かもしれない。

以前書いたエントリと矛盾しているが、「好き嫌い」を決めてそのキャラクターのまま突っ走ってゆくのは、ひとつの戦略としてアリだろう。

ただし、長期的に見た場合、固定されたキャラクターが飽きられるかもしれない。発言の傾向・考え方・行動がわかりきってしまうので、他の人が「あの人は、ああゆう人だから…」と陰で囁かれ、頑固者と言われて、そのうち無視されてしまうかもしれない。

自分の情報の発信している内容そのものに向き合えるのかどうか。それが個人のメディア性だろう。更新の頻度から、情報の質へ。

変わってゆくには、自分以外の他人の言葉に注意する必要があるだろう。ただの絡みなのか、適切な助言なのか。

コンテンツを消費する人をコンテンツイーターと名付けている記事を読んだ。まるで去年流行った漫画・アニメの巨大な人型をイメージしてしまう。消化器官が未発達で、一度喰ったものを途中で吐き出して、次の獲物を飲み込もうと四方八方に目を光らせている立ち回りなどは、まさに……


 




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