麻雀を始めようと思った人のためのリンク

アニメ「咲 全国編」の前半ぐらいの放送までは麻雀のルールはよく知らなかった。同じ牌がふたつのアタマ(雀頭 ジャントウ)と、おなじ牌と数字の並んでいる牌を3つずつ揃える、というざっくりとしたことだけ。ポン、チー、をするとリーチできないので、どうやってあがるのかがわからない……

中学生ぐらいの時に友達の家で麻雀をやっていたが、みんなあまりルールを理解せずにドンジャラ的な感覚でやっていたように思える。高校生の時にはカード式の麻雀を部活の先輩が持っていて、部室でやっていたこともあった。しかし、3つずつ揃えることぐらいしか知らないままだった。

とりあえずちゃんとゲームが出来るぐらいのルールぐらいは知っておこう、と思い初心者向けのサイトを探してみた。ほとんどの麻雀解説サイトは、いきなり専門用語が出てきたり、構成がざっくりしすぎていたり、デザインが古かったりする。ウィキペディアは情報が多すぎるし、ページごとに細分化されているので、どのような流れで学べばいいのか見当がつかない。すでに麻雀のことを知っている管理人が片手間に作った印象があるのだ。

下記のサイトが一番わかりやすい。




五人のキャラクターが登場して会話形式で初心の初心部分から説明している。まずは基本的なルールを知るために1から16の項目を一気に読むことをおすすめする。細かな部分は忘れてもいいので全体像を把握してしまおう。

読んだあとは、ゲームなどで麻雀ができてしまう。サイコロや計算や牌の並べ方、リーチなどは自動でやってくれるので気楽にできるのがいい。

初心者のサイトで基本的なルールを学ぶと、雀頭と3つずつ牌を揃える、という以前から知っていたことと変わりない。弱い相手だと勝てるのだが、レベルが上がるとたまに勝てることもあるのだが、どうしても勝率が上がらない。ここからは知識と戦略が必要になる。


役を知らないことには、筋道が描けない。牌を3つ揃えない例外的な役もある。1つずつ覚えるしかないだろう。  


ゲームの場合は、自動でポン、チー、カンの選択肢が出る。安易に押してしまうと、牌が3つずつ揃ったはずなのに上がれない場面に遭遇してしまう。役にならないと上がれない。この細かい成立条件をきちんと覚えることが第一の壁かもしれない。自分はまだ把握しきれていない。

自分のパソコン版のゲームは将棋目当てで購入した「100万人のためのお得セット 3D囲碁・将棋・麻雀」だ。

 

iPhoneで麻雀をする暇はほとんどないがインストールしているのは、以前はオフライン一人用の「覇王麻雀天和-TENHO-」で、今はオンライン対戦や北斗の拳のモードもある「雷神」だ。



ちなみに自分はネット麻雀はまだやったことがない。すぐに負けてしまう気がするし、途中で席を立つ気楽さもないので。麻雀サイトには有料と無料があるらしい。有料のほうがみんな真剣に打つのかもしれない。
パソコンのCPU相手に一試合東南戦をすると20分ぐらいだ。RPGやシミュレーションよりもプレイ時間は断然短いし、アクションゲームのような反射神経もいらないし、将棋・囲碁・チェスよりは綿密さがなくても淡々と進められて、しかし一定の戦略が必要なので、麻雀は長く遊べるゲームだろう。

リアルの雀卓でやるには点数計算やら細かなルールやマナーを覚える必要がありそうで、だいぶ先になると思う。





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(nihongoからリブログ)

一度しか体験できない新鮮なiPhoneゲーム「perloo」


無料セール中にインストールしていたゲームで、時間があった時にちょこちょこやってみた。(2014/04/10現在は100円です)

タイトルロゴがでて、次に白い丸と黒い丸。iPhoneを傾けると白丸がうごくので、ボールを転がして穴に入れるよくあるゲームとおもっていたら、それは最初のステージだけで、クリアするごとに新しい形式に生まれ変わってゆく。

最初のステージでは、白丸を黒い穴に入れようとするのだが、壁にぶつかると、穴の位置が変わってしまう。何度も繰り返して、いくつかの壁にぶつかっていると、穴の出現する法則がだんだんわかってくるので、今度は頭のなかで記憶した壁の位置に触れないように白丸を慎重に動かす必要がある。

このゲームは、クリアの仕方がわからなくても、とにかく自力で解くことをすすめする。ゲーム全般にいえることだが、最初の体験がプレーヤーにとって重要になるからだ。軽々しく動画サイトを検索してルールを知って遊んでしまうと達成感は半減してしまう。

数字やバーなどのステータスが全く表示されいなくて、シンプルなモノクロ中心の世界がひろがっている。なにをやるべきかすらまったく説明されない。最近のゲームによくある丁寧なチュートリアル解説・ヘルプ項目など一切ない。つまりルールがよくわからないのだ。

人は、わからないと不安が増してゆく。

とにかく自分でいろいろやってみるしかない。iPhoneを傾けたり、タップしたり、スライドさせてみたり、と。

熱中していたプレーヤーは、いつしか己の姿勢がおかしなことになっていることに気づくだろう。

家庭用ゲームのコントローラー、もしくはモバイル端末は手元の指先操作で完結するので、身体全体を動かす必要などない。

生まれた時からゲームや携帯電話、スマホがある世代にとって、テレビゲーム慣れしていない人間が、モニターに表示される自機に合わせて握ったコントローラーを横に移動させたり、傾けてしまう反射動作を目撃することはほぼないだろう。

自分がはじめて友人の家でファミコンをやったときに、主人公の動作に合わせてコントローラーを一生懸命横に動かして友達に笑われた経験がある。

しばらくするとコントローラーごと身体を動かすことはなくなる。何度もやっていれば慣れるからだ。頭と体の動きが分離されたのだ。

おそらく家庭用ゲーム機が登場する以前は、頭と身体を分けて素早い複雑な操作を限られた時間で行う必要がなかったのかもしれない。

いまはパソコンのキーボードやタブレットのタッチパネルで、指や腕以外を動かすことはほとんどない。

だがしかし、「Perloo」は自らの身体を意識されてくれるゲームなのだ。それは距離をおいた白い三角が画面にふたつ並んだ最後のステージで十分わかると思う。

そして、これはほぼ一度しかできない体験である。ゲーム二周目は、ルールをほぼ把握しているためサクサク進む。自分の体がこのゲームに対して、頭のなかでルールを意識して、指先で処理できるよう変換を始めたからだ。

はっきり言って、未プレイの読者は今回のエントリを読んで「いったい何を書いているんだ、コイツは?」と思うだろう。

自分でも何を言いたいのかよくわからない。ネタバレせずに書くのは難しい。

唯一まともな注意書きをするのならば、電車の中でプレイはしない方がいい。人が多いと身体を自由に動かすことが出来ないし、突然我に返った時、他人からの視線が気になってしまうだろう。iPhoneのLEDライトが点灯するステージもある。できれは部屋の中でプレイするのがいいだろう。

ちなみに、ステージは大きく分けて、丸のステージ、四角のステージ、三角のステージがそれぞれ複数ある。

プレイ中にアプリを閉じて、再開すると、オープニングのタイトルロゴが流れるばめんで、黒い穴の他に、四角や三角の穴が表示されるので、白丸を四角に入れると四角のステージからスタートできる。ざっくりとしたコンティニューのようなものらしい。

「Perloo」というゲームはあなたが自ら体験するしかないのだ。




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「今後どんなwebサービスが流行るのか?」という愚問愚答

岡田斗司夫さんのYoutube動画で、知り合いが言っていた、と断りながら「2014年にはInstagramが流行る(らしい・という話を聞いた)」としゃべっていた。それを見た時、「Instagram」って結構古くないか? と思った。


確かに今の時点ではTwitterのタイムラインで頻繁に見かけるわけではないので、利用者が増えることを『流行』と捉えるならば、写真版のタイムラインの体裁で、編集操作も他のアプリと比べてシンプルなのでわかりやすく、今後は増える傾向にあると言えるのかもしれない。

しかしながら、写真の場合は本人の技能が如実にあらわれてしまうので、ちょっと使って直ぐにやめてしまうユーザーも少なくないだろう。文章の場合だと多少ごまかしが効くところがあるし、いざとなれば「これは俺の文体だッ!」と強引に押し切ってしまえる曖昧さを維持できたりする。

ましてや識字率の高い日本人はある意味「文字フェチ」だろう。文字の強み及び弱みは読み手が勝手に解釈できるところにある。齟齬も起こしつつ、魅力も捨てられないのだ。

で、エントリタイトルの「今後どんなwebサービスが流行るのか?」という愚かなる質問に対して、愚かなる回答をするならば、「そんな先こと、何が流行るとか、わかりません!」としか答えようがない。

質問者は「とりあえず適当でいいですから」とか、「パッと思いついたノリでいいッスよぉ~」とか、「恒例の質問・予想企画ですので…」と回答者をおだてながら、暇つぶしに消費するための情報素材の提供を求めているのだ。

プロ野球の順位、サッカーの得点結果、日経平均株価、今年の漢字一字・流行語大賞と考え方は同じだ。つまり予想者の結果の精度などはどうでもいい。

ちなみに、文字だけでは飽き足らないユーザーがカメラを備えたモバイル端末の普及によって今後はショート映像・写真のソーシャルメディアが流行る、と書いているブログや記事を最近見かけたりする。

なんだか個人的には疑問を感じる。

写真やショート動画のwebサービスが複数立ち上がっている最近のニュースを読んだ人たちが、バズ(BUZZ)った上辺の言葉を拾い集めて、我が物顔で口にしているように見えてしまう。流行りに乗っかって、輻輳した大量の情報に埋もれて身動きが取れなくなっているだけではないのか、と。

専門家・著名人が極めて慎重に、意味深に、含意を込めて著した文脈が、一般素人によって表面の単語だけが流通して、勝手な解釈が加えられて広まったのち、予測が外れたり、時期を過ぎるとあっさり忘れて、次から次へと情報素材に飛び移って消費する様は、デジャヴの域を超えているだろう。

「今後どんなwebサービスが流行るのか?」について、現在堂々と回答をしている人たちは、おそらく半年前には「クローズドSNS」の潮流を雄弁に語り、去年の今頃は「ブログの再興」を強く主張していたに違いない。

つまり彼らは「何も考えず、何も語っていない」のだ。

語っている人たちが、自分周りの情報から寄せ集めた「小さな流行」を口にしているに過ぎない。それが大きな時代の潮流になるのかは別問題だろう。

最近の「マイルド(ソフト)ヤンキー」にも同じ空気を感じる。

思い出すのは数年前に高齢者マーケットがあると喧伝していた人たちだ。そんな市場はどこにもなかった。彼らは一体どこへ行ったのだろうか?


※過去エントリ
度の恥は書き捨て: タコツボ・クラスタ化する「流行」 


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高齢者を勝手なイメージに当てはめてはいけない

堀江貴文がAmebaブログをしていた頃に、iPadかパソコンかiPhoneか、正確に忘れたが、もっと高齢者にも使ってもらう、という主張に対して、コメント欄に「高齢者がiPadやパソコンを使いこなせるわけがない」と反論している人がいた。長々とくどい感じで説いていたので、いつもながらの粘着体質な読者を不快に感じる一方で、いまさら高齢者にパソコンやiPadを与えても本人の好奇心がなければ意味が無いだろうな、とも思った。

そして次のエントリ本文には、粘着質なコメントに対して、「パソコンやiPadが使いこなせない、と言っている人がいるけど、それって高齢者を馬鹿にしすぎだろう」と反論していた。

たしかにそうだなとおもった。

昔見たテレビ番組で、携帯電話を使いこなしている農家のおばあちゃんを紹介していた。地元の産地直送のスーパーで、品物が足りなくなるとメールがおばあちゃんのガラケーへ届く。そのスーパーでは生産者が値段をつけることができるので、売れ行きや時間帯や天候などを考慮して、品物の量や値段をメールで送信する映像を映していた。

最近は番組の内容を疑いの目で見てしまうのかもしれないが、高齢者でもパソコンやモバイルを使いこなす人は使いこなすのだろう。

若者でも、中年でも、男性・女性でも、同性愛者でも、ヤンキーでも、政治家でも、官僚でも、芸能人でも、教師でも、警察官でも、大学教師でも、マスコミでも……たとえはなんでもいいんだが、手前勝手に決まりきったイメージで見られて、発言されることは、本人にとってはとても不快なことだ。

介護センターで行われていることも、高齢者のイメージをわれわれの側が勝手に決めてしまい、善意でサービスしているのかもしれない。




個々の地域や環境によっては差があるだろうが、近頃崩れたモノで代表的なのは『年功序列』だろう。言葉や文字に出さなくても、共通の認識として暗黙に機能する時代は終わってしまった。

インターネットやモバイル端末の普及と、ソーシャルメディアを獲得した現役世代によって、ネット上での自己主張はしやすくなった。

そんな環境で、高齢者を叩く声を見かけるようになったのは、『年功序列』の抑圧から解放された人たちの感情的な反発なのだろう。

建前や世間体の影響力が巨大だった上の世代から勝手にイメージを押し付けられてきた下の世代が、過去の経緯を踏まえつつ反論することはあってもいいし、するべきだろう。

だが、ただの感情的な反発を繰り返していると、その行き着く先は、われわれの高齢者世代にたいする手前勝手なイメージ付けやラベル貼りに陥る可能性がある。反発する相手と自分のやっている行為が結局は同じになってしまう罠があるのだ。たとえそれが善意だとしても。

殆どの人は単純化して「●●はこうあるべき」と一括りで語ってしまいたくなる。思考の癖にとらわれたまま結論を出してしまう。ひどい場合には一律でやる事なす事を押し付けてしまう。

最近は「健康麻雀」と称して、高齢者に麻雀を学んで楽しんでもらう動きもあるらしい。個人的にはアニメ「咲 -saki-」を観るようになって、麻雀のルールを少しずつまた勉強しているが内容がかなり細かい。一からやろうとすると高齢者は覚えられるのだろうか? と疑問に感じるが、やりたい高齢者がやればいいのであって、すべての高齢者が麻雀をやる必要などない。

村上龍の対談集で、団鬼六が介護施設を訪問した時の話があった。高齢者とよくよく会話をしてみると、やっぱり恋愛がしたい、と本音を漏らしたそうだ。

恋愛をするには、社会との接点が必要で、そしてコミュニケーションが不可欠になる。

いや、恋愛にかぎらず人は社会との関わりあいを断ち切って生きることはできない。

高齢者を閉じ込めることなく、積極的に社会と関わり合いを持たせる仕組みを作るべきだろう。

高齢者側が個人の対策として社会との接点を維持するには、やはりソーシャルメディアは有効だろう。地縁・血縁以外の、性別年齢地域を超えた世界中の人々とつながることができるのだから。

たとえ考え方の違う人と出会って、齟齬・炎上になったとしても、お互いに経験として蓄積されて次へ繋がっていくと思う。もちろんソーシャルメディアを使いたくなければ使わなければいい。

Twitterの炎上話や、LINEを使った犯罪など、ネガティブなニュースの際にWEBサービスの固有名詞を出して、「空気」を醸すメディア側の報道姿勢は改めてほしいし、有効に活用されている事例を取り上げるべきだろう。テレビ出演している演者が、テレビ番組でネットの話がしづらい、と本音を漏らすのは異常なことだともっと認識した方がいい。


  


※参照サイト
 Excelをまったく違う用途で大活用! 73才の日本人男性が「Excelだけで描いた絵」がすごすぎるとネットで話題に | Pouch[ポーチ]

 ふれあい健康麻雀協会|健康麻雀とは 

咲-Saki-全国編 [最新話無料] - ニコニコチャンネル:アニメ 
 
 麻雀牌の種類から | 麻雀ルール・麻雀入門 
 


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iOS(iPhone)版のTwitter公式アプリが固まった時に脱出する小技

iOS版Twitter公式アプリのホームボタンを押してもホームやマルチタスク画面に戻らない時の脱出方法です。

たまにアプリから脱出できないバグがありますね。(最近のアップデートで直ったのだろうか?)

対処として思いつくのは、ホームボタンとスリープボタンのふたつを同時に長押しして「強制終了・再起動」する方法ですが、当然時間がかかります。他のアプリを同時に立ち上げていた場合には、アプリ起動後のデータが保存されない場合があります。

先日脱出する小技を発見したので紹介します。試してみてください。ちなみに自分の環境はiPhone5cのiOS7です。


※Twitterの公式アプリ内は移動できるが、ホームボタンを押しても、ホーム画面やマルチタスク画面に切り替えできないときの対処。

1.Twitterのタイムラインや、自分のツイート、お気に入りリストなどから、他のアプリへ跳べるリンク(URL)を探してタップする。

2.他のアプリが起動して画面が自動に切り替わった後に、ホームボタンを二度押しする。

3.マルチタスク画面になったあと、Twitterアプリを上にスライドさせて、閉じる。


簡単に説明するとこんな流れです。

たとえばInstagramのアプリを事前にインストールしている場合、リンクをタップしただけではまだTwitter内にいますが、右上の「アプリで開く」「開く」をタップすればInstagramに移動できます。

同様に、広告からApp store、Foursquareなど他のアプリが開くリンクを探したほうがいいでしょう。ブラウザ系のリンクだとTwitterアプリ内にとどまってしまうようです。

探すのに時間が掛かり過ぎると、再起動したほうが良さそうに思えてきますが^^;





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批判を、いじめてもいい、と勘違いする人々

まったく専門知識もないので、「偽ベートーベン」や「STAP細胞」関連の話に秀逸なツッコミはできそうにない。テレビの映像もニュースサイトから報道されているものや、新聞のweb版で事実関係を綴っているものを読んでいるので、いわゆる情報バラエティやワイドショー的な番組に触れる環境にないので、「世間的な空気」というものがまったくわからない。たまに「いじめの空気になっている」とツイートに書かれていても、「あ、そうなの?」としか思えないのだ。

ネットの場合だと、政治も時事もスポーツも芸能も文学もアニメも、均等にフラットに配信されている。それをユーザーが選択して情報取得することになる。ネットの情報取得に関して「好きなものだけ選択して幅広い目線が保てなくなる」という批判があるが、様々ある情報のほとんどは「ノイズ」なので嫌でも取捨選択しなければならない。

むしろ選び取らないユーザー、視聴者、読者が空気に踊らされて、話題になっているキーワードを乱用して、どうでもいいネタ情報を発信してしまう。「お祭り・炎上」だから何をやっても構わない、無責任でいられる、と思っているのだ。無責任に発言しているテレビのコメンテーターやゴシップの書き手と何ら変わらない。

批判そのものはいじめではない。批判は好き・嫌いの感情とは関係がない。

しかし、共通の話題できる弱い対象が浮かび上がると、殆どの人は「叩いていいんだ!」と勘違いする。理由はみんなが叩いているから。それがいまの空気だから。専門家や著名人の批判を「叩く・中傷すること」と勘違いしている無知な人がいかに多いことか。

社会からいじめがなくならないのは、無宗教・無思想と情報リテラシーの欠如、誇大妄想の嫉妬心かもしれない。

そんな叩かれている人を雇っている場合、組織は自然と首を切りたくなるのは当然だろう。表向きは綺麗な組織を維持できても、組織の仕組みそのものが変わらなければ同じような問題はまた起こってしまう。

つまりほとんどの人が叩きや中傷など「祭り・炎上」にかまけていると、いつまでたっても肝心で深刻な問題が注目されないままに放置され、解決へ向かうことがないのだ。

メディアがもっと細かい問題にまで切り込んで欲しいのだが、すでに潮目がかわっているのかもしれない。2chの匿名の集合知が暴いた博士論文の剽窃を、大手メディアが後追してしまっているのだから。

個人が情報を発信して、他人の人生まで影響を与えてしまったと気づいた時、ようやくその本人が自分の責任を意識し始めるのかもしれない。



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余談ですけど、ストリートビューのサービスが始まったとき、日本のグーグルのご担当者は「公道から撮影しているから問題ない」という主張を繰り返していました。ある報道関係者がこっそり教えてくれたところによると、日本の報道関係者の中にはあの主張を言われると心が痛むというか、ぐうの音も出ない人がかなりいるらしいです。和歌山カレー事件の時に、林眞須美の自宅の塀の中を無断で堂々と撮影して公衆送信したわけですが、そのときの錦の御旗が「公道からの撮影だから問題ない」という理屈だった由。なんだかなあ。
(h-yamaguchiからリブログ)

オヤジギャグが訴えられる日

先日、夜の住宅街の緑地歩道を歩く五十代くらいのサラリーマンを見かけた。携帯電話で話をしている。呂律からしてだいぶ酔っ払っているようだった。しかも声が大きいので嫌でも内容が聞き取れてしまう。どうやら会社の部下と会話をしているようだ。

部下たちがあまり飲みに来ないことに不満があるようで、時間を設けて集まるように、と口にしているのだが、ゆるやかに命令している様子だった。

そのおっさんサラリーマンがしつこいくらいに13日の木曜日にしか空きがないので、電話口の相手に他の部下たちにもスケジュールの調整をしてくれ、と言っていた。

その後のおっさんの言葉がいろんな意味で魂消た。

「13日の木曜な。”13日の金曜”は、お前が殺人鬼になる日だけどな(笑)」

???

電話が終わったあと、おっさんは緑地歩道で立ち止まって俯いていた。たぶん立ちションをしていたのだろう。

半笑いでギャグ(?)を聞かされている部下に同情したくなった。

あのおっさんサラリーマンは、自分の社内での立場を利用して、部下に同調の笑みを返してもらっていることに恐ろしいほど無自覚なのだ。

もしかすると、オヤジギャグが「パワハラ」認定される日が来るのかもしれない。いままで周囲の人々がスルーできたのは、他の問題と比べてさほど重要ではなかったからだ。

たとえば花粉症は生命の危機に及ばないものの、当事者にとっては相当困るものだ。症状がない人にとってはまったくわからないため、「大変だねー」とスルーされることが普通だった。最近では花粉症の人数が増えて、人々の労働意欲に影響があるとか、他の有害物質との関連が指摘されて問題視されるようになってきた。

ゆるい障害とか、間接的な症状というのはわかりづらいために、人々に見過ごされがちだ。次第に問題として認識する人が増えてくると一気に変わってくる。


先日電車に乗っていたとき、自分はドア付近のつり革に掴まって立っていた。

あとから乗ってきた五十代のふたり組の長身のサラリーマンが、なにも掴まらずに立ったまま話をしていた。

突然の車内の揺れでサラリーマンのひとりがおもいっきり俺にもたれ掛かってきた。

目が合って、野良猫のようにこちらを見続けたあと、俺の存在を無視して再び同僚と会話を始めたのだ。

「おい、おっさん! 人にぶつかっておいてなんにも言わずに無視するとは、お前どんだけお偉いさんなんだよ! 年なんぼやねん!! ワレ、小学校から人生やり直せや!!!」

と、ヤンキー資質でない俺は口にできる勇気もないので、心の中でおもいっきり叫んでいた。。。
世代ごとにくくってラベルを貼る文脈は好きではないが、新たな老害が進行している予感がある。

関心の低さに注目されないまま事態が最悪にならないように、個人が情報を集めて発信し続けて、対抗するしかないのかもしれない。





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タコツボ・クラスタ化する「流行」

ソチオリンピックが終わりましたね~~ テレビも持っていないし、ネットで放送もなかったので、今回の五輪は銭湯に行った際、NHKのニュース番組でボブスレーの話題がダイジェストで流れているところを横目で2秒ぐらいと、タイムラインでやたら話題になっていた浅田真央のフリーの演技をYoutubeで観ただけだった。ネットを検索すれば映像を動画サイトにアップロードしている人はたくさんいるんだろうけれど検索する気にもならなかった。とくに頑固なこだわりがあったわけでもなく、自然と時間が流れていった。

これでみんなは冬の競技をまったく見なくなるのでしょう。気にもとめなくなるんでしょう。以前ブログにも書いたけど、特定のスポーツ競技に興味が湧いても、それにアクセスする環境がいまのところないので、知りたくても、知りようがないのだ。

東京マラソンも本当にあったのかどうかが未だにわからない。自分のところにニュースも届いてこなかった。もしかしたら周辺視野に情報が表示されていたのに、意識の外にあって注目しなかったのかもしれない。

世間の流れに取り残されている、というのではなく、たんに「流行」そのものがタコツボ化しているようにさえ思えてきた。

それぞれの人たちが、それぞれに自分の時間を過ごして、興味がある人たちがつながって情報交換している。テレビがなくても、ネットで話題が共有される。むしろテレビ(や新聞など)が一方的に情報を大量に送信しているので、視聴者(読者)の意見やアクションが無視されている気さえしてきて、最近のマスメディアに対する反駁が湧いているのかもしれない。

話題になっている「艦これ」の名前は知っているが、まったく興味がわかない。だから装備した女の子の絵が何を表現しているのかさっぱりわからない。

とあるアイドルが「今年(2014年)になって『進撃の巨人』を見始めている笑」とツイートしていた。

自分も去年から最近のアニメを観るようになった。それまではまったく興味がなかったからだ。

Twitterのタイムラインでデマを指摘するアカウント(http://ift.tt/Nxnqv0)がお知らせしてくれるのだが、最近は「俺のタイムラインにデマ情報が届いてないから、それって、そもそも”デマ”なんだろうか?」と思ってしまう。

ニコニコ動画で流れるコメントにも定型文がいろいろとあるが、元ネタなどはさっぱりわからず、検索してあとから知る機会がおおい。

細かく細分化された「流行」はそもそも「流行」と言えるのだろうか?

「コレが流行っている」と言われたとしても、他の人の反応・同調がなければそもそも流行っているのかどうかさえ自分自身ではわからない。人々の興味が多様化して、生活環境が複雑になっているなかで、価値も人それぞれで違ってくる。

とりあえず「流行」に乗っかりつつ、同時に自分の存在をアピールしながら、食いつなぐような戦略は長い目で見ると難しいかもしれない。なぜならば、その「流行」はタコツボの中だけかもしれないし、「流行っている」状態はすでに「廃れる」ことの始まりでもあるからだ。だから「流行り」に乗っかる人は際限なく「流行り」に乗っかり続けなければならない脅迫観念が意識の裏側にある。

「流行り・祭り」に乗っかっていれば、自分の責任を問われることはない。

「ぜんぶ流行りのせいだ!」と大声で言い訳ができるから。




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