何か事があると、国に規制と保護を求める体質は、日本人には、お気に入りの対応策のようだが、へそ曲がりのせいか、私には、なんだか嫌な感じがしてしまう。クルマの魅力におぼれて借金漬けになる。クラブ通いで首が回らなくなる。競馬、競輪、競艇等々のギャンブルで生活が破綻する。賭けマージャンで生活苦になる。それらをすべて、国が消費者保護の名目で廃止をしてしまったら、清く正しい生活になるのだろうか。そんな社会は、なんだか脆弱(ぜいじゃく)で面白くもない。「自己責任」を否定して、あらゆることが、国の保護という名のもとに、規制される社会というのも、およそ私にはなじめないものである。荒唐無稽な話になってしまうけれど、賭博におぼれこんだドストエフスキーを保護するために、カジノを封鎖するなんてことはなくて、賭博に落ち込んだドストエフスキーを救う道はなかったからこそ、心臓の底をえぐるような作家、ドストエフスキーなのである。
本来、つぶれてしかるべき企業の救済を続けることで、不良債権が溢(あふ)れてしまったり、技術革新に対応をしないかぎり、世界に後れを取るとわかっていながら、雇用の確保といった看板を掲げることで、旧態依然とした形のまま残れるような保護的な政策をとることによって、世界的には過去の遺物のような形態のまま温存してしまう産業や企業の例がよくある。産業にしても、地域にしても、スクラップ・アンド・ビルドという痛みを伴う政策の実行を徹底して嫌うのが日本のようだ。
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「キレイな花にはエトセトラ-1.ベラドンナ」/「咲里キリコ」のイラスト [pixiv]](http://24.media.tumblr.com/tumblr_l6jo6gFH4z1qz53a8o1_500.jpg)


